「Sairaidesuka?」
「え?」
「サイライデスカ?」
「は?」
「ですから再来ですか?」
5年前から、半年ごとに検査のため訪れる仙台市内のとある大病院で、係員の方からこんな声をかけられました。
(ああ「再来院」ってことね えと 半年ぶりだから再来ってほどじゃないな なんて言おう・・・そうだ)
「あの半年ぶりです、朝8:30までに来るように言われたんですけど」
「再来ですね。」
「あ はい (初診じゃないって意味か・・)」
「では こちらにどうぞ」
彼女はなんとなく(フン)とした表情のまま、私を待合室の椅子にいざないます。
「こちらでお待ち下さい」
私は4人は掛けられる長椅子の端っこに誘導されました。
前の患者さんは反対側の端っこにちょこんと座っています。
どうやら彼女の一連の行動は、受付機待ちの再来患者(自分もその一人だったようです)をコロナ対策で密を避けて順番よく並ばせるためのものであったようです。
「なんだろ? このもやもやした気持ち」
私は、釈然としない思いで順番を待っていました。
(こっちはさー 毎週来るようなプロの患者さんじゃないんだからいきなり「サイライデスカ?」って専門用語みたいなこと言われてもピンとこないよな・・)
なんて事をもやもや考えていたのですが、検査に対する緊張感やなんかで、いつしかそんな気持ちは消えてしまいました。
だいたいその事務員さんは悪気なく一生懸命職務を果たしていたわけですし、、、
しかし帰りの車の中で、ふとまた思い出し、こんな事が頭に浮かんできました。
「これって 主観と客観の違いじゃない?」
きっとあの事務員さんは相手のためつまりは患者さんのためにという気持ちはあっても主観の世界から抜けられずに、自分たちの世界の言葉で「再来ですか」と問いかけている。
もし相手の立場で客観していたらあの質問は「こちらは初めてですか?」、患者さんが「違います」って言ったらそこではじめて「再来ですね、こちらにどうぞ」となるはず。
主観的な「相手のため」を思う気持ちを客観的な「相手の立場」になって変換すること、仮に「T2T(tame to tachiba)変換」と名付けますが、簡単なことではないけれどそういうことが重要なんではないかと思い至ったのです。
落語に「粗忽長屋」というお話があります。
長屋の住人八っつぁん(ハチ)が歩いていると橋のたもとに人だかり。
野次馬気分ででのぞいてみると、そこにはむしろに横たわった身元不明の水死体が、
ハッと気づいたハチはお役人に「これは同じ長屋のクマ公に違いありません!今呼んできます!」
「おいどこ行くんだい?」とたずねる役人に「きまってらぁ クマ本人を今連れてきます!」とこたえ、長屋に駆け戻るハチ。
無理やり叩き起こされてわけも分からずついてきたクマに、「これはお前の土左衛門(水死体)だと力説。
「俺にしちゃあアゴんところが長すぎねえかい?」と渋るクマに
「きっと水に浸かってふやけたからだよ」と押し返すハチ
ついには納得させて、これから弔いに出すからと、クマの(?)土左衛門を、クマと二人で抱え出します。
途中でクマが「この抱えられてる俺と、抱えている俺、どっちがホントのクマなんだい?」
とハチに聞くところでこの話は終わります。
ハチの純粋に、つまり主観たっぷりに友達のクマを思う気持ちが空回りしまくるところが、この落語の主旋律で、この「粗忽長屋」を故立川談志師匠は「主観長屋」と名付けました。
トップにありがちな言葉に「社員のため」、「お客様のため」というのがあります。
「せっかく社員のために(お客のために)やったのに、、、」
なんて時はぜひこの「T2T(tame to tachiba)変換」をしていただいて、
「社員の立場」「お客様の立場」で考えていきたいですね(自戒)。