前回お伝えしたように、私は日本経営合理化協会の「多角化研究会」に通っています。
会場はJR目黒駅から徒歩10分の雅叙園、2018年9月のとある午後、私はいつものように、少し早めに雅叙園につきました。
ご存じの方もいると思いますがここは大変凝った作りで、会場へのエスカレータは入り口から一番奥、ショップや飲食店に様々な趣向を凝らした展示品などを見ながら長い長い廊下を歩いていきます。
往来する人々は凛々しいスーツ姿の男性や、美しく着飾った妙齢のご婦人がほとんど。
1年以上通って見慣れたそんな風景に私はいつもと違うものを感じ、ふと右手にあるショップに視線を移しました。
するとそこにはなんと・・・美しく着飾った男性が・・・しかも髪の毛は虹色に染められ頬にはペインティングが施されています。
彼は私や他の人の目を気にする風でもなく、商品を手に取り店員さんに何やら質問している様子でした。
いわゆる女装というのとは全く違い、ゴージャスで未知の星の王族のようないでたちと堂々たる振る舞いに「さすが東京はちょっと違うな」と感じながら私は会場入りしました。
顔見知りのメンバーに会釈をし、いつもどおり一番前の席を確保。
イントロダクション、いつもどおり面白くてタメになる山地社長のお話に続き登場したのがくだんの星の王族青年。
「え? 山地さん これまでも色んなゲストきたけど、今回かなり異質じゃない?」
そんな我々のざわめきも気にかけず彼が最初に放った一言は
「皆さん! 根拠のない不安ってお持ちじゃないですか?」 でした。
私は最前列で彼から胸ぐらをぐいと掴まれた気持ちでした。
なぜなら、そのころ(というか随分前から)私は常に根拠のない不安に苛まれていたからです。
様々な失敗を乗り越え、私は事業を営むものとしてはなんとか合格点のスコアをあげていましたが、心の中でむくむくと頭をもたげる正体不明の不安感。
それは特に仕事でなにか成功した夜にやって来ます。
当時やっていたセミナー講演がよくウケた、自分の助言のおかげで上手くいった人の報告を一緒に喜んだ、その礼状が来た、自社の決算予測が予測を上回った、等々ふつうなら自信を持つべき誇らしい夜、私は家族が寝静まった後ひとりソファで不安を抱きしめながら、「なんでこう思っちゃうんだろ?」と自問自答を続け、フラフラになるまでお酒を飲んでからやっとベッドに入れるという生活だったのです。
しかし私は思いました。
「ここは各地各界の功成り名遂げた人々の集う勉強会、何週間も海外視察に行くような成功者も多いこの会場に自分以外そんな人はいない。この質問はないだろう!」と
ところがです。
てっきりバカにしたような忍び笑いが起きると思っていた、私の後ろの席の面々が何やら 息を呑み身を乗り出す気配!
そこで彼は再び言い放ちます。
「でもその不安ってしょせん根拠ないんでしょ? だったら根拠のある自信に置き換えてもなんの不都合もないわけですよね??」
その途端、みんなの緊張が解け、明るい笑い声が会場を包みました。
私を先頭に一気に暖まった会場で、聴く側、話す側大いに盛り上がり、あっという間に彼の公演は終わりました。
そう彼こそが「バカでも年収1千万(ダイヤモンド社刊)」の著者であり、今ではパリに 本拠を置くアーティスト兼経営コンサルタント「itu`(イトゥー)」さんこと伊藤喜之さんだったのです。
懇親会にも出席したitu`さんに私は自ら話しかけ、後日の再開を約して帰途につきました。
そして仙台で再開後、私は彼のコンサルタントを受ける決心をしたのです。
これまで何度か長時間の面談をしていただいたおかげで、もやもやしていた私の頭の中もだいぶ整理されてきました。
特に私の心に残り行動の指針となっているお話ベスト3は
1,ほんとうの意味での「自分探し」をすること。
2,インプット(受信)ばかりしていないでアウトプット(発信)を重視すること。
3,数をやると色々見えてくるので暖めすぎないでやってみること。
です。
私はこの出会いのおかげで人生の目的を、単に「事業を承継する人」から、「承継を通じて未来に良いものをのこす事を自ら目指し、伝える人」に変えることが出来ました。
それでまあ、こんなレターを書いているわけですね。
皆さんもお会いしてお話をする機会があれば、その人の課題に応じた大きな気づきがあると思いますよ。
さて次回は先代が存命の2000年当時、私にも多少なりともあった父子の葛藤、そして和解に至った経緯についてお話しします。・・・ほんと父が生きてるうちで良かった・・・