このレターを皆さまがお手にしているころの2月4日は「立春(冬が極まり春の気配が立ち始める日)」と呼ばれます。
この立春も含まれる「二十四節気(啓蟄、大寒など)」は、当時使われていた月の満ち欠けで月を決める太陰暦では太陽の1周と関連性がなく(閏月などで一応補正はしていました)、どうしても暦と季節感にズレがでるために、季節感がわかりやすいように太陽のめぐりをもとに定められたものだそうです(それで太陽暦が使われている現代ではピッタリ毎年2月4日になるわけです)。
しかし温暖化が叫ばれる昨今でも、仙台を始めとする東北一帯で立春はまったく春の気配は感じられません。
私は「きっとこれは平安時代の京都あたりの気候をもとに考えられたんだ。この縦に長い日本で春の到来を一律に決めるのは無理があるんじゃないの??」と思っていましたが、さにあらず。
なんと「二十四節気」は紀元前400年ころの中国大陸内陸部の季節感(!)で定められたものだそうで、日本中どこも合致するところなんかあるわけがないんですね。
ニュースアナウンサーなどが「暦の上ではもう春ですが・・」なんてことをよく言いますが、そもそも春でもなんでもない日を、毎年毎年りちぎに千何百年も春の始まる日と言っていたわけですから気が早いにもほどがありますよね。
前に書いていると思いますが、私はわりと、どころかかなり落ち着きがなく、小さな間違いや忘れ物の多い子供でした。
それでもまあ結果的には致命的なミスはしないというか、皆があんまり考えつかない解決策を考えつくことも結構多かったんです。
でも母親や、教師から言われるのはいつもおんなじ
「ちゃんとしなさい!」
でした。そしてそれは今もあんまり変わりません。
ですので自分は「正しさ」とは全く無縁の男である、と自他ともに認めていたわけです。
そんな私が最近「正しさ」について認識を改める言葉を知りました。
それは「オーディナリーケイパビリティ」と「ダイナミックケイパビリティ」という言葉です。
ケイパビリティは企業などの「強み」や「能力」のこと、ではオーディナリーというのは何かというと「通常の」「普通の」という意味で、要するに「オーディナリーケイパビリティ」は「通常業務や生産活動を正しくやる力」と言って良いんじゃないかと思います。
対して「ダイナミック」ほご存知のように「動的な」という意味。「ダイナミックケイパビリティ」とは、「状況に応じて動的に行動を変化させながら正解にたどり着く力」という意味のようです。
この2つの力はどちらも「正しさ」の2つの側面を捉えており、オーディナリーは 「正確」、ダイナミックは「正解」ということもできそうです。
そう考えると、私は「正確」さには著しく欠けるものの、「正解」にたどり着く力はまあまあ持っているんじゃないかと思うんです(もちろんミスを繰り返しながらですが)。
世の中バランスが大切ですから、正確さももちろん重要ですが、「正しさ」の一方の面ばかりに気を取られると、1,200年以上も季節に合わない「立春」を「正確」に繰り返すことにもつながりかねないなあ、
などと「ちゃんと」できない私は言い訳まじりに考えています。
☆じつは2012年頃に日本気象協会が「日本版二十四節気」というものにダイナミックに取り組んだらしいのですが、俳句界からの反対などもあり、結局頓挫してしまったようです。
オーディナリ〜〜