最近になって時々この言葉を思い出すようになってきました。
中学1年生の春、クラスメートに言われた言葉です。
お昼休みだったかなんだかに、廊下を歩いていてたまたま正面からぶつかりそうになったとき、彼はその言葉を発し、私はその言葉通り脇にどけました。
当時の私は、ガリガリにやせていて、早生まれだったためか背丈も高くなかったのです。
クラスメートの彼自身も、背丈は相手をチビ呼ばわりするほどではなかったと思いますが、たしか剣道をやっていて、ガッチリと肉厚な感じの子でした。
「やせチビ!」と言われたのは後にも先にもこの一回だけですが、なぜか不思議と記憶に残っています。
その後私の背丈は徐々に伸び、そのクラスメートから軽んじられることも特になくなりました。
今では、やせているのは相変わらずですが、背丈はこの年令の男性の中では平均より少し高いというところでしょうか。
今にして思うと、彼が私に向かってそう言ったのは、「それくらい言っても良いやつ」と軽んずる気持ちがあったのはもちろんですが、もしかしたら何らかの違和感を感じていたのかもしれません。
その後成長する過程で、ヒョロヒョロの見た目や独特の雰囲気(らしいです)から、軽んじられたり、マウンティングされることは何回、いや何百回もありました。
しかしいつの間にか一人前の「闘争心」を身につけた私は、一時的に劣勢に立つことはあっても、毎回毎回着実にそれをひっくり返しながらここまで来たように思います。
親のやっていた事業も、わりといい感じに承継して一定の成果をあげましたし、家庭も持ち、経済的にもまあまあです。
まあ言ってしまえばそこそこ「強者」の立場です。
しかし最近になって朝ぼーっと歯を磨いているとき、お風呂につかっているとき、ふとあの時のことば「どけ!やせチビ!」が思い出されます。
ご存知の方も多いと思いますが、私は5年前に胃がんの手術を受けて、胃の3分の2を失いました。
命あっての物種、ほんとに感謝しておりますが、残念なことにいくつかの内部障害を後遺症として授かりました。
そのうちのいくつかは気にならない程度に軽くなっていったり、食べ方を工夫するなどして乗り越えましたが、どうしても克服できないものも少し残りました。
この事は私の行動に多少の制限を与えて、やれるはずのことができず、もどかしい思いをする時があります。
まあ客観的に見れば「弱者」ということですね。
最初に書いたとおり、もともとは弱者であり少数派だった私です。
弱者である怖さは知悉していますから、周りからそう見られないためにかなりの無理をしていました。
もっと言えば自分をも騙していたような気がします。
そしてその無理のせいで、家族や、社員、友人・知人に要らぬ心配をかけていたようです。
術後5年の経過観察期間が過ぎ、担当医から無罪放免を言い渡されてふと気が付きました。
「5年経っても良くならない後遺症は、一生続くと考えたほうが良い」ということに。
ならばもう、無理をすることはありません。
私は正真正銘の「弱者・少数派」に戻ることにしました。
できないことはできない、とはっきり言い、できる人にお願いする。
マウンティングなどムダな争いに参加しない、勝とうと思わない。
自分が得意で好きなことに集中して世の中の役に立つ。
そう考えるだけでなく、きっちり行動で表していくことにします。
「どけ!やせチビ!」
どうやらこれが自分の原点のようです。
N君、今どうしてるかな? お互い60前だね、気づかせてくれてほんとありがとう!