今回は珍しく時事ネタで書かせていただきます。
今年の2月22日に始まったロシアのウクライナ侵攻は未だ終結のメドも立たず、長期化の様相を見せています。
プーチンには彼なりの正義があるのかも知れませんが、だからといって双方に多大な犠牲の出る意思決定をして未だそれを改めないのは歴史上まれに見る蛮行、としか思えません。
悲惨な現地の映像を見るにつけ、住まわれている皆さんを案じずにはいられません。
偽善と言われようがせめて気持ちだけも、と「国境なき医師団」へのささやかな寄付をさせていただきました。
民間人を巻き込む無差別攻撃や、キエフ近郊で撤退時に行われたと言われる大量虐殺などに対しては国際刑事裁判所が「戦争犯罪」として調査を開始しているそうですが・・
「戦争犯罪」? 戦争だけでも十分悪いのに「犯罪」って一体どういうことなんだろう?
・・・と、私の気持ちはいつものように少しずつナナメにずれていきます。
たぶん「戦争犯罪」ってのは戦争よりもっと悪いことなんじゃないか?
捕虜を拷問したり、民間人を殺害したり、物的・性的な略奪をしたり、病院や学校を攻撃したり、地雷埋めっぱなしにしたり・・・
考えただけでダメそうな数々のことがらが浮かんできて、なんか気持ち悪くなってきます。
戦争と、戦争犯罪、どちらで死ぬにしても辛く苦しいことには変わりないし・・・
もうこれ以上このことを考えるのをよそうと思ったとき、ふとテレビで見たヨーロッパのとある国の外交官の言葉が脳裏に浮かびました。
「ロシアによる民間人の殺害は大幅に人権を侵している。だから許すことは出来ない。」
・・なるほどそうか、まず「人間らしく生きる権利、人権の侵害はダメよ」という大前提があって、
・人権侵害には様々な種類があり、侵害の度合いも程度があるが、そのなかでも殺人は人権そのものを100%なくす行為なので最上級の人権侵害であり犯罪である。
・今回「民間人が軍人から殺される」のは戦時のことなので戦争犯罪。
・だからロシアを許すことは出来ない→戦争犯罪として調査する。
という論理の建付けのようです。
つまりヨーロッパ的な論理でいうと
「殺人という行為そのものが悪なのではなく、究極の人権侵害として悪なのだ。」
ということでしょうか?
これは結構怖い話で、「人権がなければ殺しても構わない」ということにもなります。
アジアと比べて農業生産力が低くいがための領土争いやカトリック・新教・イスラム入り乱れての宗教戦争、さらには人権を獲得するための革命、などで多くの血が流れたヨーロッパならではの冷徹な論理とも言えますね。
それに比べてアジア人である私たちは、感情的に「悪だ」と感じる数々の行為を、個別に罪だと考えているように思います。
しかしこの「総当り方式」だと、自分の目が曇っていて「悪だ」と判断できないことはついつい見逃してしまいますし、それがどの程度の悪なのかの判断もその時の感情によってゆらぎがちです。
しかしこの外交官の事例のように「人権侵害は悪」という基準とそのスケール(度合いを測るものさし)があると、様々な行為にそのものさしを当ててみれば、いじめも悪だし、性差別も悪、弱者を笑い者にすることも悪、度合いによっては犯罪となることが少なくともはっきりします。
皆様の会社にも、規則で明文化されているいないに関わらず、いろいろな禁止事項があると思います。
各々の禁止事項事項に、例えば「会社の価値を毀損する行為は悪」などの御社なりの明確な基準とスケールをあててみてはいかがでしょうか?
もしかすると禁止することにそもそも意味がなかったり、罰則の度合いが見合わなかったりするものがあるかも知れません。
逆に「明確に会社の価値を毀損しているのに禁止されてないこと」が見つかったりするかも知れませんよ。
☆実は戦争にはルールがあるんです。戦時国際法と呼ばれ代表は「ジュネーブ条約」です。
☆その戦時国際法上、軍人は敵対勢力を破壊する権利を持つので「軍人が軍人を殺害」するのは人権を侵していることにはならないとのこと。ただし投降すれば捕虜として基本的人権が保障されているそうです。
☆博愛を旨とするキリスト教徒であるはずのアメリカに移住したヨーロッパ人が南米や北米の先住民を殺しまくったり、アフリカで奴隷狩りをしたりできたのも、「彼らは洗礼を受けていないので人間とは呼べない。したがって人権はない」という考えからだったそうです。彼らが先住民に向けたのはコルト社の「ピースメーカー」という拳銃だったのは皮肉なことです。