「各個撃破」この強力な手法で打ち勝たねばならない相手について〜
兵法にとっては「「向き合う相手の力がこちらより強いとき、どう戦うか」はとても大切なテーマです。
「寡兵をもって大軍を討つ」
「柔よく剛を制す」
日本に限らず西欧でも巨人ゴリアテを投石機で倒したダビデのように、人気のあるテーマだと思います。
しかしいったんここでご注意
兵法の基本は「勝利は大兵にあり」
藤原鎌足や源義経も愛読したと言われる古代中国の兵法書「六韜(りくとう)」にも「大兵は創(きず)つくなし」と書かれているそうで、やはり「多勢に無勢」
多少作戦は平凡でも、やはり大兵を集めて決勝点(勝利を決めるポイント)にぶつけるのが王
道です。
実際に日本の戦国武将トップ3の信長・秀吉・家康も勃興期には寡兵(少ない兵力)、あるいは敵と同等の兵力で見事なパーフェクトゲームをしていますが、その後は基本的には大兵力で相手を圧倒する王道を歩んでいます。
しかし、「さはさりながら」といいますか、常に相手より少ない人数・アイテム数・資金量で、自分より大きい相手や市場と戦わねばならないのが私たち中小企業。
そんな私たちの強い味方は、若きナポレオンも駆使した必勝法、「個別撃破」
若き日は一砲兵士官に過ぎなかったナポレオンが、一時はヨーロッパの半分を手に入れるきっかけとなったのが、この「各個撃破」だったのです。
話を単純化するために、ナポレオン部隊がこの図のように三方から自身と同じ兵力の部隊に囲まれたとします。
あなたがナポレオンならどうします?
自分の兵を三つに分けて各部隊に対応させますか?
もしそんなことしたら3分隊は兵力3倍の敵とそれぞれ戦わねばならず、たちまち「惨敗」なのは、皆さんご明察の通り。
当時の伝統的な兵法では、こんなときに無理をするのは「愚将」の行いとされ、いったん退却して体制を立て直すのが優秀な将兵のマナーとされてきました。
しかしですね、「生まれながら(ア・プリオリ)にして戦い方知っていた」と称された天才ナポレオンは違いました。
残りの2部隊には目もくれず、一番近い第1部隊めがけて突進!
五分五分の戦力での戦闘に持ち込みます。
突進された敵部隊は、勢いに飲まれ、また加勢が期待できることも手伝って、必死の戦いができません。
戦闘を逃れた残り2部隊も当事者ではないので戦闘の帰趨を見定めようと言わんばかりに傍観。
結局ナポレオン部隊に軍配が上がり、衝突した(された)1部隊は敗走します。
さて、それで終わらないのがナポレオン。
勝った勢いそのままに隣の敵、第2部隊の横腹に突撃!
まさか「来る」と思っていなかった敵部隊は算(さん)を乱(みだ)して敗走。
以下同文で最後の第3部隊も片付けたナポレオン部隊は勝利の雄叫びをあげる。
という具合です。
この代表的な成功例が、1796年、総勢6万のオーストリア軍に四方を囲まれたにも関わらず、半分の3万の軍勢で勝利した「ガルダ湖畔の各個撃破」です。
みなさんが不思議に思ったであろう、「残り2部隊が動かない」なぞの背景には、
当時の各国の軍隊はお金で雇われた「傭兵」で、兵隊は各部隊を率いる将軍の「財産」であり、ムダ遣いができなかったから、ということもあります。
かたや志願兵である「国民軍」を中心とするナポレオン軍は大変士気が高く、多少戦死者が出てもすぐ補充できる、というわけです。
つまり、この「各個撃破」という兵法が成功するには
・相手の大軍が分断されている。
・相手の分断された部隊の連携がよろしくなく同時に攻めて来る公算が低い。
ことが条件となります。
なんか急に心細くなってきましたね・・
しかし、ご安心ください。
具体的なビジネスシーンで、相手陣営の大軍が結束している、なんてことは殆どありません。
小さい我が方を軽く見て、士気も緩んでいることが多いものです。
見せかけの結束が、簡単に分断できることが多いのは、こちらが生存をかけた結束であるのに対して、向こうは利益になる結束だからです。
・相手を分断し、連携をさせない。
つまり相手を徹底的にセグメンテーション(細分化)することが、個別撃破のキモです。
自分が体験した業界内の競争のことについては、差し障りがあるので書けませんが、たとえばみなさんも、自分より大きい取引先に軽く見られて悔しい思いをしたことがあると思います。
向こうの部門間の連携、本部と現場の考え方の違い、取引先とその先にいるエンドユーザー。
じっと目を凝らすと、どこかに切れ目があるはずです。
そこに、決してグレーな手法ではなく、正々堂々と切り込んで見てください。
きっと活路が開けてきます。
そしてここでとても大切なことを申し上げます。
じつはこの強力な「各個撃破」の考え方は、競合や取引先よりも、「市場」に対しての方がさらに効果的なんです。
戦争と違ってビジネスにおいては、競合との対峙よりも「市場」との対峙の方が断然重要なのはご存知の通り。
じっさい競合との関係に執着しすぎてお客様のことが後回しになる失敗パターンは数知れず。
あのドラッカーも「ビジネスにおいて最も重要なことは、顧客に向き合うこと」と書いています。
さらにさらに、市場のお客様やニーズはそもそも細かく分かれていますし、それぞれの別れた要素(これをセグメントといいます)間の連携もありません。
市場は先ほど申し上げた「各個撃破成功の条件」
・相手の大軍が分断されている。
・相手の分断された部隊の連携がよろしくなく同時に攻めて来る公算が低い。
が完全に満たされています。
憎い競合や高圧的な取引先のことは一旦忘れて、「市場への応用」を考えてみましょう。
では、ここからその実例をご紹介します。
若干手前味噌になるんですが、私達の事業会社であるミカド電装商事が実際に体験した市場での個別撃破を例にとって見てみます。
ミカド電装商事はもともとはその名の通り、カーバッテリーや点火プラグ、カーオーディオなど、自動車の電装品を扱う会社でした。
主に本家の電機商社から商品を仕入れ、本拠地仙台市から離れた地方の電装屋(自動車の電機周り中心の修理販売業)さんに卸して、売れた分をコツコツ集金するスタイルでした。
しかしオートバックスなど大型カー用品店の地方への攻勢で、地方の電装屋さんそのものが衰退、当社は窮地に追い込まれます。
私の先輩たちは、次の仕事を見つけるために、当時建設ブームにわく電気業界に目をつけました。
最初の頃は電気と名のつくものなら何でもやってみよう、という事で手当たり次第。
ビル設備に不可欠な非常用発電機、鉄筋用の電気溶接機、テレビブームに乗って中継所用の空冷エンジンの発電機などなど。
しかし、どれも過当競争で仕事はそこそこあっても利益は出ず。
お客様側も結構苦しくて集金がままならない、なんてこともしばしばあったそうで・・
じつは私が子供の頃、父が一時乗っていたマイカーは、溶接機の代金代わりに受け取ったボロボロの(床から道路が見えました)セダン、「いすゞベレル」ということを白状すれば、当時の状況をなんとなくわかってもらえると思います。
つまるところ当社は、三方からやってきたおいしそうな仕事に対して、戦力を分散してそれぞれに挑んでいたため、ろくな結果が出てなかったわけです。
そして当社が手当り次第にチャレンジした商品がもう一つありました。
それが現在もメインの事業会社の主要商品である「蓄電池設備」です。
蓄電池設備はカーバッテリーと同じ原理の電池を使う、主にインフラや施設用の非常用設備です。
正確に言うと、当社の蓄電池設備の取り扱いは前からあることにはありました。
とはいっても、電力会社向けの「蓄電池設備」をわきで細々とやっていたという感じ
蓄電池設備は、全体で見れば巨大な電気設備業界のなかで完全な脇役、いやいや見る人が見れば、「あああの人」とわかる「ベテランの通行人役」、というくらいの小さな市場。
誰も見向きもしない「ニッチ市場」と言っていいと思います。
しかし、他の新商品から手を引き、分散していた兵力をここに集中したところ、もともと馴染みのあるバッテリーの知識が活かせるということもあり、数年で売上は安定しだします。
最初は電力会社向けが8割、その他もろもろで2割という市場構成でしたが、慣れてくるにつれ、最初はシェアの低かった鉄道会社向け、自治体向け、大手電気工事会社向けなど、細分化した市場を一個一個順番に個別撃破。
そこへ、すくすくと成長し(?)社会人となった私も加わり、最終的には東北における蓄電池設備市場のシェアおよそ4割を抑える、「ニッチトップ」になることができました。
正直あの時、地方の電装屋さん向けのビジネスにこだわっていたら、当社はとっくにこの世に存在していないことになっていたでしょうね。
ちょっと我田引水が過ぎましたので、もっともっと大きな企業の事例を一つ。
京都発ベンチャー企業のはしりとも言える堀場製作所は、同じ機器制作でも、分析・計測機器の製造に特化して、他の市場には目もくれません。
Phやガスの計測器を皮切りに様々な分析・計測の分野を各個撃破。
学生として創業した堀場雅夫さんが1978年に53歳で早々に経営の場から退いたあとも着々と成長を続け、自動車や半導体産業をはじめ新素材、エネルギー、鉄鋼、食品、バイオ、化学、環境等の分析・計測分野で世界に貢献しています。
「各個撃破」、いかがでしたか?
競争は戦略的に優位でも、各現場の戦術で勝てなければ意味がありません。
そして最優先すべきは競合より市場。
皆さんの会社もきっと何かの分野を各個撃破してここまで来ているはずです。
その分野の衰退や、さらなる会社の成長を求めて、皆さん、次は何を各個撃破しましょうか?
近隣市場をセグメンテーションしてみると、きっと答えが見つかりますよ。
各個撃破中の、ロジスティクス(兵站)となる経営サポートは、私たちエースラボにお任せください!
次回は、逆に自分が包囲するとき、自分より小さい相手をどう扱うか?について書いてみようと思います。
☆日本の各個撃破の好例として「対馬藩郡奉行陶山鈍翁のイノシシ退治」の話があります。ご興味のある方はぜひググってみてください。
☆隆盛を誇ったナポレオンにもやがて敗北の日が訪れます。対抗する各国も高コストの傭兵ではなく徴兵した国民兵を使い出したこともありますが、組織がかなり大きくなっても、ナポレオンは連絡将校を使い、各所に自身が立てた作戦命令を出すことにこだわり、機動性が落ちてしまったことが大きな原因のようです。
それに対するプロイセン軍は「ディビジョン(事業部)制」を採用、各ディビジョンのトップに方針だけを示し、作戦の立案実行は各ディビジョンに任せたため、迅速な作戦行動が可能になり、1812年ドレスデン会戦でナポレオン軍を敗退せしめました。
ナポレオンの名言「予(よ)の行くところに勝利あり」は「予が行かないと負けちゃうね」の裏返しだったというわけです。