最近 自宅のまわりでも会社のそばでも「メンタルクリニック」を標榜する医院の開業が増えてきました
「昔はこんなにメンタル不調の話は聞かなかったよ・・・最近心の弱い人が増えたからなんじゃない?」
なんて つい考えてしまいますね
たしかに最近の若い人を見ると 優しくて繊細な印象の方が増えているような気もしますし そもそもメンタル不調の患者さんが増えなければメンタルクリニックは増えないはずです
そう考えると メンタルの不調を感じてクリニックを受診する方が増えていることは確かなようです
実際のところ どうしてそういう事になってきたのか 私なりに少し考えてみました
考察その1 もともとメンタル不調者は多数存在していたが隠れていた
「武士道精神」や「大和魂」などの言葉に代表されるように わたくしたち日本人は 精神の強さを重要視していました
したがってメンタル つまり精神にその軽重を問わず何らかの不調がある ということを非常に口に出しにくい社会風土であった ということが その理由として考えられます
実際 私自身も20世紀の終わりごろ いろいろ無理をしすぎてしまったせいか うつ病で6年ほどの神経内科の通院経験がありますが 家族やごく近しい会社関係者にしか話せていませんでした
当時お世話になった病院も 今のように街なかにおしゃれに「メンタルクリニック」という名前では開業しておらず 少し離れた郊外で「消化器内科・神経内科」という名前でひっそり感出しながらやっていましたね
考察その2 IT化で心の負担が増えた
International Data Corporationによると 世界で生成 取得 複製 消費された情報の量は2010年の2ゼタバイトだったのが10年後の2020年には64.2ゼタバイト 2025年の予測値はなんと181ゼタバイトと90倍なんだそうです(1ゼタバイトは1兆ギガバイト)
個人的な経験でも1990年頃 私が初めて手に入れたハードディスクドライブは20メガバイトの外付けでしたが コレを書いているアップルのエントリーモデルとも言えるiMacの内蔵ハードディスクドライブは256ギガバイト・・・ってことは25万6千メガバイトで当時の1万倍以上です
これだけ量が多いと 情報を処理するための臓器である脳もけっこう大変なはず
しかも自分がIT上で発信すること 他人から記録されたことはすべて デジタルタトゥーとして永遠にクラウドサーバーに残ります
そうです もう誰も忘れてはくれないのです
ですから発信どころか話すことさえ本当に気を使いますね
もうすでに「全世界公人化」といっても過言ではありません
これでは脳のOS(オペレーションシステム)とも言える「心」が参ってしまうのも無理がないと思います
考察その3 体を使った仕事が減った
日本の労働災害の度数率(100万延実労働時間当たりの労働災害による死傷者数)は1952年の40から36年後の1988年には2.09に激減
「ヒヤリハット運動」など安全衛生教育の賜物とも言えますが、体を使う危険な作業がどんどん機械・工具に取って代わられたことも大きいと思います。
そして頭脳労働を主とするオフィスワーカーの仕事も変わりました
麻雀 ゴルフ カラオケなどの時間外肉体労働が激減したことはもちろん 書類を届けに行く 商談のために出かけていくような業務もITを使って会社や自宅にいながらにして行えるようになりました
営業トークも肺と口を動かす重労働でしたが いまや一言も発することなく1日の仕事を終えることも可能です
もはや脳のほかは 指先しか動いていないわけです
軽い運動によりストレスを軽減させる運動療法は エンドルフィンやセロトニンといった脳内物質も活性化させるため うつ病を軽減させるといわれています
かつての私たちは通勤や接待などの軽い運動でメンタルヘルスを保っていたのかもしれません
私自身もかつて現場作業にちょくちょく出ていたことがありまして(30年以上前の話ですが) たしかに体はきつかったですが 精神的な強度は強かったように思います
結論
これら3つの考察が正しければ この頃のメンタルクリニックの増加(=患者さんの増加)の原因は
1)もともとメンタルが不調な人は一定数隠れて存在しており 病気のカジュアル化によって表面化してきた
2)さらにITや機械化が進み結果 脳の負担が増えたことにより心が疲労しやすくなった
つまり心が弱くなったのではなく 「心により負担がかかる世の中になった」
ということではないのかな とおもうわけです
対策
じゃあ どうしたらいいんだ? ということで 「メンタル時代」への処方箋が求められていくことになるんだと思いますが・・
うつ治療歴があり セルフチェックでADHD(注意欠如・多動症)*の疑いがあるこの私が 大所高所から ズバリ言うわよ(古)いたしますと
1)の表面化に関しては 私はメンタルに不調がある人はどんどん表面化すべきだと思います
お近くのおしゃれで落ち着いたカジュアルなメンタルクリニックにいって診断を受け もし治療が必要なようでしたら周りの人にもちゃんとお話して 堂々と治療を受けましょう
まわりもそのほうが変な気遣いなく接してくれるはずですし もし何らかの差別的取扱いを受けたらそいつがダメってことですから かかわりを絶っていいと思います
吸血鬼が恐れられるのは 血を吸われると吸血鬼になっちゃうからですが 吸血鬼ばかりの国では 誰も吸血鬼を恐れません
天下の往来の真ん中で裸になれば すごく恥ずかしいし 犯罪行為で取り締まられてしまいますが
ヌーディストビーチで一人だけ服を着ていると コレはコレで恥ずかしい と聞いたことがあります
私は メンタルの状態が 身長・体重・既往症・飲んでいる薬ていどのプライバシーとか個人情報になると良いなと考えています
2)は環境要因だから解決することは不可能です
もし解決しようとしたら イギリス産業革命当時のラッダイト運動や 1996年に逮捕されたユナボマー事件の犯人のように ITや自動化機器の破壊活動を行うしかありませんが 徒労に終わるでしょう
結論の結論
1)2)をまとめて考えれば 私は昭和の日本が肉体労働に対して安全衛生教育を進めたのと同じく 頭脳労働に対しても徹底的な安全衛生教育を進めるべきと思っています
しかし 経営側がそれを待っているばかりではあまりにもお上頼みすぎるとも考えています
ご自身 そして経営者なら会社の皆さんへの対策を講じるべきだと思います
ここからはメンタル不調の代表格 うつ病に絞ってお話をすすめます
よく「うつは心の風邪」なんていいますが 私は違うと思います
うつは かかってもしかたのない病気でもありませんし 人にうつる病気でもありませんし 一晩か二晩寝れば治る病気でもありません
私は「うつは心の骨折」だと思います
「骨折してもしかたない」「骨折はうつる」「骨折は2,3日したら自然に治る」
誰もそんなふうには思いませんよね
うつ病は骨折のように 「ならない方が良い」「人には伝染しない」「治るのに時間がかかる」ものなのです
ですから うつ病には 「予防」「周りの対処」「十分な治療」が必要なんです
「予防」
骨が折れるとわかっていて 無理に重たいものを持ったり わざわざクルマにぶつかりに行くひとはいないですよね
このまま行ったら心が折れると予測がつく仕事はたとえ途中でも手を離す勇気 手に負えない仕事が降ってきそうなら止まってやり過ごす思慮深さが必要です
経営者なら 高い視座から社員がそのような危機を迎えていないか見守る力が必要です
「周りの対処」
もしも誰かが 上記のような場面で骨折しそうなら 注意喚起や手助けをするでしょう
もしも誰かが 足を骨折したのに病院にも行かずに会社に来る と言ったらどうします?
もしも誰かが ギブスをしているのに重い荷物を持とうとしたら 止めますよね?
「十分な治療」
予防の甲斐なく 運悪く骨折してしまったら やらねばならないのは無理して動くことではなく治療です
もしも足の骨でも折ったら まず一旦動かさず 血が出ていたら止血して 添え木などを当てて救急車を待ち 病院でしっかり手当を受け 動かしていいと医者が言うまで動かさない
もしも心が折れたら まず一旦休んで 動けるようになったらメンタルクリニックに行き 診断と投薬を受け 働いていいと医者が言うまで動かない・・・同じことだと思います
「うつ病は心の骨折」
そう考えれば ご自身や社員がそのような状態なってしまうことが 経営的にもかなり大きな代償を払うことになる病だとわかると思います
骨折するまでやらない 骨折するまでやらせない ぜひ心にお留め置きください
*このことは前にもどこかで書いたことがあるかもしれません メンタルクリニックのサイトでADHD(注意欠如・多動症)のセルフチェックをすると 「生きづらさ」を感じるようだったら診察を受けるよう強く勧める結果が出たりします まぁ自分自身はそれほど生活に支障を感じませんし 治った自分がつまんない人間になりそうなので絶対行かないですけどね