「いい話」をしなくなったわけ

私のような薄情な人間でも「あの人がいなかったら」「あの人のあの一言がなかったら」と恩義を感じている人はいます

います どころか ぱっと思いつくだけで そういった恩人の方々が7,8人は存在します

そうは言っても鈍い私のこと ほとんどの場合は いただいた一言の意味 というか重要性に気がつくのには 早くて数日後 遅いと数年かかります

なので 直接お礼を言うタイミングがなく ほとんどのケースは 私が一方的にそう思っていて 時々ありがたく思い出すだけなんです

でも ごくたまにですが そのことを直接本人に 

「あのとき ああ言っていただいて そのおかげで・・・」

みたいな お礼と報告ができる場合もあります

で そんなとき こちらが期待する というか予想している返しは

「ああ それは良かったね 役に立ててうれしいよ」

みたいなことだと思うのですが

実際のところは・・・

「え? オレそんなこと キミに言ったっけ??」

という 膝から崩れ落ちそうな回答がほとんどです

話は変わりますが 私はわりと講演会みたいなものを聴く機会があります

当然ですが講演をする人は練りに練ったお話をされるので

聞き応え十分で 終わった後の満足度も高いものが多いと思います

特に「〇〇しましょう」みたいな提案型の講演は 「よしやってみよう」と言う気持ちにさせてもらえるので なにか生まれ変わったような爽快な気分になります

しかし実際のところは やってはみないし 仮にやってみても続かない

(これまで 聞いてやってみて 未だに続いている習慣は 一つだけです)

いわば素人の その人が覚えてもいない言葉によって 私に数々の転機が訪れ

講演のプロのしっかり練り上げられた話からは めったに転機が来ない

それでまあ 逆もまた真なり とでもいいましょうか 主客逆転して今度は私が

「あのときこう言ってもらって」とか「何年前に沢田さんにガツンとやられて そのおかげで」みたいな お礼のようなことを言われることも ごくまれにあるんです

(60余年も生きていれば たまには何かいいこと言っているのでしょう)

しかし 当の私自身は 「あのとき」のことも 「何年前」のことも 私の恩人たちのように やはり全く覚えてないわけです

また こんな私でも ときおり所属団体なんかで 小一時間の講演の機会をいただくようなことがあります

私なりにしっかり準備をし 構成を考え ネタの完成度も回数を重ねる毎にそれなりに上げ 会社をよくするためにはこうしてみると良いですよ的な ノウハウもしっかり盛り込んで すこしでも「いい話」になるよう工夫して お話ししてきました

それで講演自体は それなりに面白く聴いてくれていたり 感心してもらえているようなのですが・・・

未だ 「あの講演を聴いて あのノウハウやってみました 結果こうなりました」という声は聞こえてきません

不思議ですね なんか 私が聞く立場でも 私が話す立場でも 同じことが起こっているんです

何の気なしに話したことが 相手に転機をうみ

相手に響くように工夫して「いい話」をしたときは 転機を生まない

これは一体どうしたことでしょう??

ここからは私の主観ですが 人は一生懸命考えた「いい話」よりも 相手の心からそのまますっと出たことに 深い影響を受けるものだからなのではないかと思います

まあ主観ですから 大上段に構えた話でもないんですけどね

そんなわけで最近は 講演の機会をいただいたときでも 社内外の方と個人的にお話しするときでも もっと言うと 営業的な面談やプレゼンの場面でも なるだけ「いい話」にならないよう気をつけています

良くも悪くも100%  20%増量したり 20%削ったりして いい話にせず 事実や思ったことをそのままお話しする

まだ試してみて半年もたってませんが 本人的には素でできるのでわりかし楽です

結果の方も ちょっとずづですが 出はじめているようですよ

先日来てくださったお客さんも 何の気なしに感じたことをお話ししたら これから始めることの価値を さらに掘り下げるヒントになっていた模様です

あくまでも 「模様」ですけどね

☆今回から このコーナーのタイトルを「思っちゃったんだからしょうがない」に変更しました

「書かずにはいられない」ってほどのことも書いてない気がして参りましたので

これからもご愛読お願いします