継続する成果・継続しない成果の違いを生むものは??
前回、「エースユナイテッドとコンサルティング契約を結んでいただいている皆様へ」というタイトルで、構造づくりの大切さについて、私が思うところを、暑苦しいまでに語らせていただきました。
今回は、その構造を会社経営に持ち込むにはどうすべきか?について書かせていただきます。
まずは私が若い頃に、心から絞り出された声を聞いてください・・
「・・・なんでみんな、こんなに早く帰れるんだろう??」
これは仙台に戻ったばかりの頃の体験です。
当時のわたくしはまさしく「名ばかり部長」で、やっていることは担当者と変わらず、営業と自分で受注した案件の現場作業の最前線。
その日も朝から現場に行って一日作業をして、夕方会社に戻って、頼まれてた見積もりを営業車に乗ってお客様に届けに行く途中、まだ6時前だというのに街なかのオフィスビルから出てくる人また人・・・
仙台に戻って以来、いつも目にする光景ではありますが、その日私は今さらながらにそう思ったのです。
その日も、見積もりを届けて会社に戻って、本日の作業報告書づくりをして、家に帰れるのは21時過ぎ。
もちろん全員が私のように遅くまでやっているわけではなく、時間通りに帰る社員もいるが、かれらはやはり全然成果が出ていません。
なのでトータルすると、結局会社全体の業績は良くてトントン。
給与も低いし、社用車や工具・計測器などの装備も悪いままだったんです。
それにくらべて、オフィスビルから定時で出てくる皆さんの会社はおそらくは、中堅から大手企業。
きっと利益も出ていて給与も高いんでしょう。
定時早々にビルから出てくる彼らを見て「なんで?」とはつぶやいてはみたものの、前文でも書きましたとおり、わたくしは大企業で働いた経験がありましたから、その理由を知っていました。
中小と大手、経験上申し上げますと、じつは人材としての能力の差は、一般的に思われているほどの開きはありません。
実際の仕事に必要なのは知識ではなく知恵。
学歴が高かろうが使えないやつは沢山いますし、その逆もまた真なのです。
なのになのに、成果や処遇はなんでこんなに違うんだろう???
「親の小さな会社になど戻ってくるのではなかった」、というのが当時の私の偽らざる気持ちでした。
もちろんそんな私とは違って、しっかり成果を出されている中小の社長さんもいらっしゃいます。
いまこれをお読みのあなたもきっとそうでしょう。
そんな中小の社長さんは全知全能、まるで信長かナポレオンのようなかたがたです。
社内の全ての業務に精通し、フルコミット。
事業計画を立案し、指示を出し、自らも武器をとって戦うこともある。
そんな方がたです。
でもね、ここまでほめあげた信長もナポレオンも、その栄華は歴史上の事実としては長続きしないんです。
尾張の弱小勢力からスタートし、天下統一を成し遂げた織田信長は自身のちょっとした油断から謀反を受け、49歳で嫡男ともども本能寺の変で滅亡。
フランスの砲兵隊長から身を起こし、ヨーロッパ大陸を席巻したナポレオンも、フランス皇帝に即位した後、わずか8年でロシア遠征に失敗。
そのまた8年後にイギリス軍に捕らえられ、幽閉先のセントヘレナ島で51歳の生涯を終えました。
一方、二人に対する歴史上の勝者についてもここに記しておきましょう
今年(2023年)、大河ドラマの主人公になっている徳川家康は、全国制覇を成し遂げ、将軍職を秀忠に譲った後も、隠居先の駿府から隠然とした力を発揮し続け、75歳まで生きて東照大権現として神格化され、15代400年にわたる徳川幕府の礎を築きました。
ナポレオンとその後の第2共和制フランスに勝利したプロイセン国王ウイルヘルム1世は、「鉄血宰相」ビスマルクとともに、諸国に分かれていたドイツを統一し、普仏(プロイセンとフランス)戦争に勝利したドイツは彼が亡くなった後も安定し、第一次世界大戦まで戦乱に巻き込まれることはありませんでした。
信長と家康、ナポレオンとウィルヘルム1世、いったい何が違うんでしょう?
信長は、弱兵として知られた尾張兵に頼ることを諦め、これまでの土地に縛られた足軽とは違う、各地からお金で集めた大量の足軽を、柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉など、歴戦のしかもライバル関係にある配下の武将たちに与えて手柄を競わせ、いつでもどこでも戦える、当時国内最強の軍隊を持っていました。
ナポレオンは、御身大事で士気の低い傭兵が主体だった近世ヨーロッパにおいて、愛国心に燃えた志願兵からなる国民軍を編成し、自分の立てた作戦を連絡将校を使って彼らに伝えることで、大量の兵力を自在に操ることができました。
つまり彼らは、天才的なトップが、競争相手にはない独自の事業モデルを持っていたので、とても戦闘に強かったのです。
これに対する歴史上の勝者、家康とプロイセンはどうでしょう。
家康にももちろん戦上手で恐れを知らない武将たちと、屈強な三河兵がいました。
しかもそれだけでなく、家康には酒井忠次や本多正信といった内政に強い部下、さらには金地院崇伝(こんちいんすうでん)や天海僧正のような政治顧問というべき僧たちを配下に持ち、
さらにヤン・ヨーステンや三浦按針のような元祖お雇い外国人とも言うべき人材も抱えていました。
このへん、イエズス会のルイス・フロイスを適当にあしらい、外国人といえば、召使いしかもたなかった信長とはだいぶ違いますね。
もう一方のプロイセンは、ナポレオンに苦杯をなめた経験から、軍事作戦を立案する「参謀本部」を世界に先駆け設立。
情報・作戦・後方を担当する参謀たちが協力しあい、連戦連勝だったナポレオンを崖っぷちまで追い詰め、彼を捕らえ、エルバ島に追放。
その後の普仏(プロイセンとフランス)戦争でも大モルトケ率いる参謀本部の力で、第2共和制フランス軍に圧勝し、その後勃興したナポレオンの甥であるナポレオン3世をも倒しました。
つまり、信長とナポレオンは自分の才覚のみに頼り、本部機能を持つことをしなかったが、家康とプロイセンは、後々のことまで考えて優秀な本部機能(私が言うところの構造)をつくりあげた。
このことがこれだけの差を生んだのかも知れません。
ひるがえって、私が痛感した中小企業と大企業の違いを生む原因を見てみましょう。
営業と現場(製造や施工・店舗)しかもたず、後は社長が全部一人で引き受けている中小企業。
かたや優秀な本社機能(企画や総務)が社長を助け、営業と現場が力を発揮できる大企業。
一時は調子が良くても、全てを統括する天才社長が抜けて代替わりすると成果が継続できず、とたんに力を失う中小企業。
場合によっては優秀とも言えない普通の人が社長になっても、本部機能が会社を支え、成果が継続し、脈々と続く大企業。
どうやら企業の興亡も歴史上の実例と同じく、本部機能(構造)の有無がその違いを生み出している気がします。
その本部機能は一般的には間接部門と呼ばれ、人事・財務・法務などの総務系と、企画部門に分かれています。
今回から始まる「構造としての企画部門」では、そのタイトル通り「企画部門」にフォーカスしてお届けしていきたいと思います。
そのためにはまず最初に、「そもそも企画とはなにか?」というところから始めていかねばなりません。
「企画」は非常に抽象的で幅広い概念ではありますが、ここでは
会社や団体が目標を達成するために、どのような戦略や手段を用いるかを考え、計画を立てる仕事のこと、として捉えたいと思います。
そう捉えると企画のというのは具体的には
・何らかのアイデアを出し
・アイデアをもとに、具体的な計画を立て
・計画を実際に実行し、進捗管理や予算管理、問題解決などを行ない
・実行した計画の結果を分析し、課題や改善点を見出し出すこと。分析・評価:を行い、次の計画に反映する。
といった仕事です。
これらは小さな会社では、普通社長や役員などの経営陣が行う仕事ですよね。
つまり、企画という仕事は、社長、経営陣の下請けとして決定以外のタスクをすべて行う、ということができます。
さらに煎じ詰めれば「規格外のことは決定以外、企画が行う」、といっていいでしょう。
ですから企画の仕事は、創造性や発想力が求められ、その上さらにチーム内外とのコミュニケーション能力やプロジェクトマネジメント能力も求められるわけです。
さてそんな大会社にある企画部門はその機能によって「〇〇企画」と細分化されていることが多いようです。
会社によって企画部門は独自に進化を遂げているのですが、おおむね以下のような部門に分かれています。
・経営企画部門
・商品企画部門
・マーケティング企画部門
・営業・販売企画部門
・コンテンツ企画部門
・イベント企画部門
次回はその中でも中枢というべき経営企画の仕事についてお伝えし、中小企業が構造強化で生存競争に勝ち抜くためにはどうしたら良いのか?
について書いていきたいと思います。