エースラボ 所長
沢田 元一郎
Genichiro Swada
1962年仙台市若林区生まれ 中央大学卒
電気設備会社「ミカド電装商事」の跡取りとして、のほほんとした高校生活を送り、のほほんと一浪して東京の私大に入学。テニスやバイトに明け暮れる大学生活を送り、経済卒なのに、簿記はわからず、経済理論ももちろんわからず、超低空飛行で卒業。在学中理解できたのは、卒論で用いたアダム・スミス「国富論」の一節のみ。1985年から、仕入れ先メーカーで3年修行!と言っても最初の2年で学んだのは、名刺の出し方と電話マナーとカラオケ。あとは伝票を雑に書くと電算室から怒られること。最後の1年、営業企画でやっと砥石にかけられ少しサビが落ちる。
意気揚々と仙台に戻ったが、1部上場の大メーカーでは当然だと思っていた常識が全く通じず四苦八苦。
ついに自ら現場作業までやるハメになり、6年で部品破壊2回、感電3回。
入社7年の34歳、同族ならではのスピード出世で社長になったが、就任1年目に建設バブル崩壊で大赤字。
ケチケチ作戦で乗り切るも、生まれついての小心者、心身ともに疲れ果て、体調を崩しぼろぼろに。
そんな将来への夢も希望もない中、小さな頃から好きだった読書で気を紛らわす毎日。
時代小説、気軽なエッセイ、文化人類学、自然科学、はもちろん、数多の経営手法、経営哲学から量子力学に全15冊の古代ローマの歴史本、果てはあやしげな自己啓発本まで、ヒマにまかせて読みまくる。そしてある時、とうとう気がついた。「そうか、一時のテクニックや感情ではない! 売れることや経営はサイエンスであり仕組みづくり。その設計と実践こそが経営の仕事なんじゃないか」と。その後様々な師や考え方との出会いとその実践で、3年で利益が5倍、5年で売り上げが2倍となる。その後2015年に、がんで胃の2/3を摘出したことを奇貨として会長に就任し、ホールディング会社「エースユナイテッド」を設立。
祖業の電気設備や、その後取り組んでいる再生可能エネルギーやエネルギーマネジメント事業、さらに縁あってスタートしたプログラミング教室などを後方支援する企画室を立ち上げる。その後、人の勧めもあって企画室の業務を事業化することを決心。グループ企業の経営とともに「エースラボ」事業のトップとして、地元の東北だけでなく、中部・関西の企業とご縁を得て、経営の仕組みづくりをサポートしています。