経営やってみたラボ、14 私がキャッシュフロー経営に(あまり)賛同したくないわけ
「やっぱさー、これからはキャッシュフロー経営だと思うわけ」 今を去ること数年前、居酒屋で経営者仲間A君の言葉を聞いて私はこう思いました。 (わ こいつも例のあの話すんのか・・・) 案の定、彼はこう続けます A「昔の魚屋さ...
「やっぱさー、これからはキャッシュフロー経営だと思うわけ」 今を去ること数年前、居酒屋で経営者仲間A君の言葉を聞いて私はこう思いました。 (わ こいつも例のあの話すんのか・・・) 案の定、彼はこう続けます A「昔の魚屋さ...
お気づきになっている方も多いと思いますが、私はここで祖業でありグループの稼ぎ頭、ミカド電装商事の仕事の中身や、最近取り組み始めたエネルギーマネジメントやプログラミングスクールの課題と可能性、、、など具体的な商売(事業)の...
最近「DX」という二文字を新聞やビジネス誌で見かけることが多くなりました。 ご存じの方も多いと思いますが、このDXはマツコのデラックスの略です、というのはウソで「デジタル・トランスフォーメーション」のこと。 「デジタル・...
前回は社内を全部一緒くたにして分けていなかったばっかりに、社内の戦略と戦術が混乱し、2期連続の赤字決算になってしまったことをお話しました。 今回は、私が節目節目に分けて考えるキッカケになった3つの出会いといただいた助言、...
前回「ミカド電装商事30億円プラン」を立てたものの、さっぱり社員の同意を得られなかったお話をしました。 今回は一つの箱に色々詰め込もうとしたら上手くいかなかったばかりか、これまで上手くいっていたことまで一緒にだめになって...
それは今を遡ること7年前の2013年、まだホールディングス化する前のお話です。 ミカド電装商事はその当時、震災の復旧需要が一年で一段落したものの、売上げは10億円をしっかりキープ。 利益もまあまあ出ていましたが、私には一...
それはちょうど、山一證券自主廃業や北海道拓殖銀行破たんなど、金融バブルが弾けた1997年、私が父の跡をついでミカド電装商事の社長に就任し、早々赤字からの苦しいスタートになったお話は第5〜7号に書きました。 その頃の私はと...
前回は業績回復の特効薬「期末手当」について書かせていただきました。 今回は、期末手当の効果が出だした2008年ごろから3年ほど、当社は売上は増えるものの利益が思うほど増えない症状に陥りました。 6億前後で推移していた売上...
それはいまを去ること20年前、社長を引き継いだ途端、日本中の建設バブル崩壊に連動して当社も変調をきたしていたころのお話です。 前回書かせていただいた、父親との葛藤、和解の過程で私は業績回復のためにいくつかの策を施しました...
私は自身が34歳、父が65歳になった時に社長の座を譲り受けました。 といっても最初の2年位はほんとにただ名前だけで、本当に社長らしいことをやりだしたのは36歳のころでしょうか。 株や土地に引き続き、とうとう公共投資バブル...